医師:島袋 史(しまぶくろ ふみ)
【略歴】
1970年東京都生まれ
1989年3月 私立和光高校(東京都町田市)卒業
1989年4月 琉球大学医学部入学
1995年 琉球大学医学部卒業
1996年~ 琉球大学医学部産婦人科教室に所属し、県立那覇病院、中頭病院、那覇市立病院など県内病院で研修を受ける
2005年~ 浦添総合病院産婦人科勤務、2011年9月浦添総合病院退職、2011年11月ゆいクリニック開業
【資格】
産婦人科専門医、母体保護法指定医、ホメオパシー認定医、新生児蘇生法インストラクター
【所属】
日本産科婦人科学会会員、日本産婦人科医会会員、日本周産期新生児医学会会員、日本母乳の会会員、日本ホメオパシー医学会会員、日本ラクテーション・コンサルタント協会(JALC) 正会員、日本禁煙科学会会員、日本胎盤臨床医学会会員
1995年2月(医学部卒業1ヶ月前)に生まれた長女を筆頭に、2000年、2008年、2010年生まれの4人の子どもの母親です。
長女は東京都町田市の実家で生まれました。その際自宅出産をサポートしてくれたのは、神奈川県相模原市にある「のぞみ助産院」でした。歌うお産で有名なところですが、お産の時には歌う余裕はなく、必死に夫の手にしがみついて側臥位で出産しました。
次女は「分娩台よさようなら」の著書である大野明子先生の「明日香医院」で生まれました。破水して陣痛が始まってから移動したため、到着してすぐに四つんばいでのお産になりました。
長男は沖縄市の自宅で生まれました。「こもり助産院」の小森香織さんにサポートをお願いしていたのですが、陣痛が始まってから予想以上に進行が早く、小森さんが到着する前に生まれてしまいました。お産は四つんばいでした。上の子供たちがピクニックシートやシーツを布団の上に敷いてくれて大慌てのお産でした。子どもは生まれた後に無呼吸発作があり、その後多血症、多呼吸などもあって約1週間NICUに入院しました(今とても元気です)。
次男も沖縄市の自宅で出産しました。このときにも小森さんにサポートをお願いして、家族みんなに見守られながら、穏やかにお産を迎えることができました。
子供たちはみな母乳で育ててきましたが、母乳育児を専門的に勉強し始めたのは次女を出産してからです。自分自身の経験だけでは無知による間違いもたくさんあり、母乳育児を専門家としてサポートするには日々勉強が必要だと痛感しています。
母乳育児は奥が深く、学べば学ぶほどその大切さやすばらしさを知ることができます。これからも研鑽を続けていき、自分が培った知識と技術を診療で還元していけたらと思います。
島袋史自己紹介ロングバージョン
医師:島袋 忠雄(しまぶくろ ただお)
【略歴】
1995年:琉球大学医学部卒業。同年より琉球大学医学部小児科学教室に所属し、同付属病院で研修開始。その後、同院のほか那覇市立病院、中頭病院で勤務。
2001年:琉球大学医学部付属病院助手として、臨床および研究に従事。
2004年:中頭病院勤務(小児科医長)。
2006年:琉球大学医学部助教(小児科学教室医局長)として、臨床、医学生の教育および研究に従事。
2008年:琉球大学退職後も同付属病院の非常勤として小児循環器外来を担当する傍ら、県内複数の総合病院で外来を兼務。
2011年:ゆいクリニックで小児科医、事務長として勤務。2017年6月医療法人結想会理事長。
~現在:近隣の小学校の学校医や複数の保育園で園医を兼務。
【資格】
医学博士 日本小児科学会認定専門医
【所属】
日本小児科学会会員、日本小児循環器学会会員、日本川崎病学会会員、沖縄県小児科医会会員、沖縄県小児保健協会会員
小児科医として、そして4児の父親としての経験を元に、多くのお父さん、お母さん達と同じ目線で、子供たちの健やかな成長を見守っていきたいと考えています。